頂き物v
──────White X'mas────── |
クリスマスイブだというのに、今日は予定もないなんて。 薄ら寂しさを感じながら、ロイは特に当てもなく街を歩いていた。 遠くから、教会の鐘の音とクリスマスキャロルが聞こえる。 吐く息が、目の前を白く染める。 吹く風は頬を殊更冷たく撫でていき、ロイは思わずコートの襟元をしっかりと掴んで引き寄せた。 「寒いなら、マフラーをすれば如何ですか?」 かけられた声に振り向けば、見慣れた蜂蜜色の髪を風に靡かせ、温かそうなカシミヤのロングコートに身を包んだ女が、冷たい風をものともせずに風に負けず劣らず冷たい印象を纏って立っていた。 「…ホークアイ中尉。奇遇だね」 ロイは冷たい印象を纏う女ににこやかに挨拶を投げる。「日用品の買い出しに来たんです」と、リザ・ホークアイは別段偶然会えたことに対する感慨は無いと言わんばかりの声音で応えた。 「ああ、久しぶりの休暇だったね。」 「ええ。…誰かさんが仕事をさぼらなければ、もう少し休暇も取りやすいんですけど」 言外に彼を責めるその科白に、ロイは軽く肩を竦めた。 「所で、中尉。ランチはもう済んだのかね?…こんな所で出会ったのも何かの縁だ。立ち話も冷えるし、一緒にどうかね?」 勿論、私の奢りで。 にっこりと微笑むロイの顔を、リザは考え込むようにじっと見つめていたが、やがてその形よい唇を開いた。 「…ランチは、まだです。ですが、ご一緒させて頂くのは遠慮しておきます」 「な、何故?誰かと予定でもあるのかね」 「そうではありませ…いえ、そうとも言えるのかしら…」 「なんだ、誰かとデートの約束があるのなら、そう言ってくれたまえよ…。彼氏に焼き餅を焼かせたい訳でも無いのだろう?」 歯切れの悪いリザの返答に、ロイはわざと哀れっぽい声を出してみせる。慌ててリザは弁解を始めた。 「え?ち、ちがいますよ。デートの予定なんか、有りません」 それに、そんな相手も居ません。と小さく付け加えられた言葉に気をよくして、ロイは更に言い募る。 「違うのかい?さっき”そうとも言える”と言ったじゃないか」 「あれは…ブラハのご飯がまだだったので、早く帰ってあげないとと思って…」 言いながら、リザは買い物袋の上から少し顔を出すドッグフードの箱を指さして見せた。 ────なんだ、私は犬に負けたのか? 理由が判明すると、今度こそロイの貌に拗ねたような表情が貼り付く。「ブラハが一緒でも行ける店を、私は知っているのだがね」と、付け加えてリザの表情を盗み見た。 暫く互いの腹を探るような視線のやり取りが続いたが、先に折れたのはリザの方だった。軽い溜め息を吐くと、左手を挙げて其処にはめられている時計の針を確認する。 「少し歩いた先が私のアパートです…ブラハを連れてきますから、少し時間を頂いても?」 「勿論構わないよ。それなら荷物持ちも兼ねて、一緒に行こう」 言うなりロイはリザの手から大きな紙袋を奪い取って、さっさと先を歩き始める。不意を付かれて面食らい、一瞬行動が遅れたものの、リザも慌ててその後を追った。 「ちょ…大佐、それくらい、持てます。上官に荷物持ちさせるなんて…」 「良いじゃないか。プライベートの時くらい上下関係は無しでいたまえよ。それにこういう時は男が持つものだよ。」 振り返って、にこりと微笑む。荷物を奪い返そうと伸ばされた腕を、難なくかわしてロイは更に歩を進めた。 この上官が言い出したら聞かない性格であることは理解している。リザは諦めたように溜め息を吐いた。 「では…お願いします」 流石に並んで歩くのは烏滸(おこ)がましい。リザはいつものようにロイの後ろに付いて歩きだした。 「キミの家なのだから…キミが先に歩いてくれないと判らないのだが…」 それに、いちいち後ろを向いて喋るのは喋りづらい。そう付け足して、ロイはリザを自身の隣へ手招きした。 確かにそう言われればそうだ。さりとて、先を歩くわけにも行かない。自然隣に並ぶ事になる。リザはなんとなくロイに謀られた気分になりながら、彼の横へ歩を進めた。 自分のアパートが近いとはいえ、それでも徒歩10分ぐらいはかかる距離にある。 話題も提供できぬままに、リザは手持ちぶさたになった両手を、仕方なくショルダーバッグに絡ませた。 「こうしてキミの荷物を私が持って、並んで歩いていると…」 「え?」 「なんだか恋人同士に見えると思わないかい?」 普段なら一笑に付して終わるようなロイの言葉に、リザは話題を探しあぐねて居た所為もあって反応が遅れた。 「な、にを馬鹿なことを…」 「お兄ちゃん、美人の彼女にどうだい?」 反論しようと口を開いたリザの声を遮るように、露天商の声が重なった。 ほらね、とリザに目配せしたロイを樺色の瞳が睨み付ける。 「おや、彼女と喧嘩してんのかい?いけないよ、クリスマスだっていうのに…」 露天商の勘違いをいちいち訂正するのも煩わしい。リザは曖昧に微笑んでその場を立ち去ることにした。 さっさと先を歩き出したリザを、ロイは慌てて追いかける。追いついたときにはその手に真っ赤に熟れた林檎が収まっていた。 「…どうしたんですか?その林檎」 「さっきの露天商が仲直りしろとくれた」 そう言いながら、ロイはそれをポンとリザの手に乗せた。振り返ると、人の良さそうな笑顔の露天商と目が合う。リザは軽く会釈をして露天商に礼を示した。 「キミが食べたまえ」 「でも大佐が頂いたものですから…」 「構わないよ。キミのためにとくれたものだ。」 妙なところまで律儀なリザの反応に苦笑しながら、ロイは空を仰ぎ見る。 どんよりと曇った灰鼠色の雲が厚く空を覆い、青空は欠片も見えそうにない。 ──────雪が降ればいいのに。 「寒いですね」 そんなロイの様子には構う風もなく、リザは歩いている間の話題提供にと、素直に現在の気候に関する感想を述べる。ロイも、それに頷いた。 「ああ・・・。まあ今日は折角のクリスマスだ。雪でも降れば、ホワイトクリスマス・・・ロマンチックで、恋人同士にはうってつけで良いのにね」 「雪が降ると、交通機関が滞って雑務が増えますよ?」 ロイのロマンチストな発言は、リザの至って現実的な発言に打ち消される。あまりの色気無いその言葉に、流石にロイも苦笑を禁じ得ず、肩を竦めた。 「でも、そうだな…中尉、ちょっと賭をしないかい?」 「賭、ですか?」 「ああ。今日は、雪が降る。私の予想が当たったら、ディナーも付き合って貰っても?」 「クリスマスの夜に、過ごす相手がいらっしゃらないなんて、珍しいですね」 「私は元々フリーだよ。そういうキミこそ、こんな日に一人だなんて似合わないと思うがね。…それでどうするね?乗るかい?」 いつものように少し戯けた風に訊いてくるロイを一瞥し、溜め息を吐くとリザは厚い雲の垂れ込める空を見上げた。 今朝見た天気予報では、今日は一日曇るとは言っていたが降水確率は殆ど無かった。今年一番の冷え込みであることは実感できたが、いかに彼が錬金術師と言おうとも、空から降る雪を錬成することは出来まい。 そう考え、リザは賭に乗ることにした。 「構いませんよ。でも、じゃあ雪が降らなかった場合は…」 「キミに、両手に余る程の花束でも贈ろうか」 「要りません。その時は、明日は年末の分まで終わらせる勢いで仕事に励んで頂きます」 「ぐっ…。よ、良かろう。賭とはハイリスクハイリターンこそ楽しいものだよ」 「言いましたね?変更は利きませんよ」 天候に関しては、絶対など有りはしない。しかし空気の流れや湿り気、気圧の配置図などでかなり近いところまでは予想できる。今日の天気は曇り。予報はそう告げていた。 これはゲームだから。ほんの暇潰しに付き合うだけ。 「大佐は案外ロマンチストなんですね」 軽く、微笑みを唇に乗せて。 仕事中より少し濃いめに引かれた紅が、形良い唇を更に艶っぽく見せ、ロイの心臓が一瞬ときりと跳ねる。 「ああ、着きました。此処が私のアパートです」 言われて見上げれば、煉瓦作りの古風な雰囲気を纏った、高級ではないが質素ながらに上品な、3階建てのアパルトマンが建っていた。 「荷物、有り難うございました。上がって、お茶でも?」 ロイの手から荷物を返して貰いながらそう訊いてきたリザに、予想に反してロイは首を横に振る。 「いや、すぐランチだしね。ここで待っているから用意してきたまえ」 「でも、寒いですよ?」 「そうだね。だから手早く頼むよ」 部屋へはいる口実を作りたかった訳じゃないからね。 そう言って、ロイは微笑むとアパートの門柱に背を預けた。 流石に女に手が早いと噂されるとはいえ、そう言うところは紳士なのだ。ただし、相手の女性が望めば話は別であるが。リザのそれは明らかな社交辞令。上がることを望んだ言葉ではない。従って、それに乗るのは無粋というものだ。そしてその読み通り、リザはロイの言葉に従った。 「では…5分で済ませて来ます」 リザの部屋は二階にあった。足早に階段を上っていく姿を右手をひらひらと振って見送ったロイは、冷えた身体を自身の腕で抱き締めた。 「やれやれ…格好つけるのも、楽じゃない」 実際寒さには極端に弱いロイが、好き好んでこんな吹き曝しの場所に留まる理由など、在るはずもなかった。火を入れていなくても、部屋の中は風がしのげる分外とは格段に温かさが違う。そのうえ熱い茶を飲めるなら、それは至福以外の何者でもなかった。…だが。 「ものには順序と言うものがあるからな」 「何をブツブツ言ってらっしゃるんですか?」 「うわっ」 いきなり声をかけられ、ロイは文字通り飛び上がった。 振り向くと、黒い小犬を従えた金髪の主が立っている。確かに5分で準備するとは言っていたが、あまりの迅速な行動にロイは頭が下がった。 「そんなに驚かれなくても…」 「あ、いや。あまりに速かったのでね。不意をつかれてしまったよ」 流石にさっきの自分の声は情けなかったと、ロイはばつが悪そうに微笑んだ。そんなロイの頬に、ふわりと温かい感触が触れる。リザの指先が触れたのだ。 「実は相当寒いのでしょう?唇紫色ですよ…」 リザは自分の唇を人差し指で指し示し、自身の部屋から取ってきたマフラーをロイの首に巻き付けた。カシミヤの柔らかな温もりが、ふんわりとロイの首元を包み込む。 やれやれ、お見通しか。…敵わないな。 「ああ、有り難う、中尉」 「なんでしたらこの子もお貸ししますけど?」 「わんっ」 指さされた小犬は、訳も分からぬままロイに向かって鳴いて見せた。 流石に、幾ら温かいとはいえ犬を抱いて歩くことは遠慮したが。 「大佐の見解では、いつ頃雪は降りそうですか?」 ランチを終え、食後の珈琲を啜りながら談笑していたリザが、不意に先ほどの賭を話題に乗せる。勿体ぶるように腕を組んで少し考えて見せると、ロイは窓の外に目をやるとようやく口を開いた。 「さあ、どうかな。降ればいいと思ってはいるがね」 「…呆れた。もしかして確証もなく賭を持ち出したんですか?」 「まあね。いいじゃないか、たまにはこういう馬鹿げた勝負をしてみても」 「そりゃあ…仕事が捗るならそれに越したことはありませんけど。」 「私が負けること前提かね」 リザの言葉に軽く凹んだ風を装い、ロイは苦笑して見せた。 「でも、今日は本当に冷え込みます。雨でも降っていれば可能性は高かったかも知れませんね」 「天気予報なんていうのは、史実に基づいて予想してはいるが、所詮予想に過ぎない。どう変わるかは、判らないものだよ」 「でも、雪が降ったら大佐は無能になってしまいますよ?」 「キミ知らないのかい?雪が降るときは、空気は乾燥しているんだよ」 だから平気さ。 勝ち誇ったように胸を反らすロイに、リザは「ハイハイ」とあしらうように冷たく返事し、カップに残った僅かな珈琲の残りを啜った。 ちらりと盗み見た時計の針は、2時。 「さ、そろそろ出ましょうか?大佐はこの後のご予定は?」 「そうだな、予定は特には無いよ。実は暇を持て余してぶらついていただけだ」 お陰でパートナー付きのランチにありつけた。 にっこりと微笑む。今日は、機嫌がいいのだろうか?ロイはやたらと笑顔の大安売りをしているような気がする、とリザは心の片隅で感じたが、特に気にすることもなく直ぐにその考えを忘却した。 「そうですか。では、賭はこの時間を持って終了にしても宜しいですか?」 「それは速いな…ディナーにはまだ時間がある」 「では終了の時刻を決めて下さい」 リザの言葉にロイはしばし考える風に目をつむる。 「そうだな…じゃあ、今から4時間後。午後6時に終了と言うことでどうかな。それまでに降れば、私の勝ちだ」 「ええ、構いませんよ。…では、私はこれで失礼しますが、勝敗が決したら…」 「キミの家に電話して、迎えに行く時間を知らせることにしよう」 「勝つこと前提ですか」 「自分が勝つことを信じられないようでは、賭をすることは出来ないよ」 確かにロイの言うことは尤もだ。 「では6時の頃には家に待機しておくようにします」と告げると、リザはランチの礼を言ってロイに背を向けた。 レストランの扉を押し開けると、冷え切った冷気が急激にリザの体温を奪う。思わずふるりと身震いすると、鉛色の空を見上げた。 先ほどより色が濃い。 昼間なのに、夕刻のような暗さだった。 ロイと別れたのはいいが、リザにも特に予定などは存在しなかった。ブラックハヤテ号の散歩も兼ねて、暫くぶらぶらと散歩するのも良いかも知れない。多少冷え込みが厳しいことに目をつむれば、一番時間を有効に利用できるとも言えた。そう頭の中で整理すると、リザは近くの公園へと足を向けた。 「さあハヤテ、そろそろ帰りましょうか」 公園で随分と時間を潰したリザがブラックハヤテ号を呼ぶ頃には、時計の針は随分と傾いていた。まだ夜中になっていないとはいえ、今の時期夕刻からは随分と冷え込む。ただでさえ寒さの厳しい日であったため、それは顕著に現れた。 「まだ大佐との勝敗の時間には早いけど…流石にだいぶ冷え切ってきたわ」 足下にすり寄る愛犬は、寒さなど微塵も感じていないようだった。軽くその頭を撫でてやり、帰路に就くことにした。 人影も疎らになった公園は、常ならばうすら寂しい雰囲気を拭えなかった所だが、今日は電飾が木々に散りばめられて幻想的な雰囲気を醸し出している。 普段ならあまり見かけないカップルの姿が、夕闇に紛れてそこかしこでこのイルミネーションを楽しんでいた。 どうしてクリスマスっていうとカップルで過ごしたがるのかしら… 前々から感じていた疑問が、リザの頭に浮かぶ。何より、クリスマスに一人だと言うと、誰もが哀れみを含んだ視線を返してくるのが一番イヤだった。 恋人と過ごすのに、クリスマスも大晦日も平日も有るものか。イベント事が有るからといって、浮かれていられるほど乙女でもなければ、わざわざそれの為だけに時間を作れるほどリザは暇ではなかった。 下らない。 ロイに賭を持ちかけられた時も、感じたのは一人のクリスマスを過ごさなくていい喜びなどではなく、この人も又イベントを重視する軽い人だったのかという軽い失望。 いや、彼に限って言えば、当然だったかも知れない。 けれどそれに乗ってしまったのは…何故だろう。 「まあ、どうせ暇だったし…戯れに付き合ってあげても良いかなっていう仏心よね…」 それに、と歩を進めながらリザは更に思う。 今日の賭は私の勝ちだ。明日は身を粉にして働いて貰えるから、捗(はかど)るわね。 薄暗い歩道を踏み締め、足早に家路を急ぐ。 時刻は17時45分。まだ、空からは何も降っては来ない。 玄関の重い扉を開け、手探りで灯りを灯す。 柔らかなオレンジ色が室内を包み、光というのはそれだけで温かく感じるものだなと頭の隅で考えながら、リザはヒーターのスイッチを入れた。 部屋が暖まるまでは時間がかかる。早く暖まりたかったリザは、薬缶を火にかける。 そして、何の気無しに戸外に目をやると、奇妙な違和感に気付いてリザは窓へと近寄った。窓に顔を押しつけ、目を凝らすと、真っ暗なそこにちらちらと何かが舞っている。慌てて窓を開け、手を伸ばすとリザの手の平にふわり、ふわりと舞い降りては、その冷たく白いものは水に変わった。 「ゆ、き…?」 思わず呟いて空を見上げたリザの背で、居間の掛け時計が6時を告げた。 「信じられないわ…。こんなにギリギリで、私の負けだなんて」 目の前をひらひらと舞い落ちる白い結晶を見つめながら呟く。不意に、電話のベルが鳴った。…取らなくても、相手は判る。きっと機嫌の良い声で勝ちを宣言するのだろう。 「…もしもし?」 『やあ、中尉。』 「賭は、貴方の勝ちですか…大佐」 『信念の成せる技だよ、中尉』 やけに飄々と言ってのける声音が憎らしい。 思わず黙り込んだリザの耳に、いつもよりも数段機嫌の良い声が優しく囁いた。 「Merry X'mas。今日はキミのためにシャンパンを開けよう」
2004.12.20 に頂きましたv |