頂き物v



男たちは、周囲にくまなく視線を走らせる。
その視線の中に「彼女」が存在しないことを。
二度三度四度五度…つまりは何度も確認し、
お互いにそれを目配せして頷き合うと…


「…前方、問題なし」
「左右、後方も同じく問題なしっス!」
「よし、…行くぞ!」

そういって勢いづいて足を踏み出したまさにその瞬間、


「マスタング大佐、ハボック少尉」

通常の声音であっても良く通るその声に、
男たちは、ぴたりとその足を止めた。


「…や、やあ。ホークアイ中尉!」
「ど、どうしたんですか? 難しい顔をして!」

額に流れる汗を自覚しながらも、彼らは何とか冷静を装ってそう答えた。
もちろん固まったままでは会話も何気ないフリもできないわけだから、
冷ややかな視線を受けて、本当は今すぐにでも逃げ出したいという気持ちを
何とか抑えて。

ぎぎいっとぎこちない笑みと体の動きで、いつの間にか後ろに立っていたリザの方へと向き直った。




そんな男たちを冷静に、しかしどこか呆れ顔で見つめていた彼女は。

すうっと息を吸い込むと、たっぷりと間を持ってから、口を開いた。



「どこへ行かれるおつもりですか?」


彼女は、二人に向かって話しかけてはいたが、
その質問は明らかに今にも逃げだそうと足を踏み出していた
ロイに向けられたものだったから。


「えーと、俺は食事に…」
「後からなら、思う存分、飽きるまで食べてもらってかまわないのだけど。
 もう少し我慢してくれる? ハボック少尉」

これ幸いに、と逃げ出そうとしたハボックだったが、
依頼形ではあっても有無を言わせぬ彼女の台詞に、
思わずじわり、と背中に汗が吹きだすのを感じ取り、逃げ出すのはあきらめた。


これは警告だ。
はるか昔、まだ人間が人間でなかった時代から受け継がれた本能が
彼の体に指令を与えている。

『彼女に逆らうな』と。


そんなわけでおとなしくなった部下その一を内心叱咤しながらも、
こちらへ向かって足を踏み出すリザの姿を認めると
ロイは平静を装って笑顔を浮かべた。



「いや…その…、今日は折角のパーティーなのだから!
 君ももっと楽しみたまえよ!」
「単なるパーティーでしたら、思う存分楽しんでくださって構いませんよ。
 でも本日はは軍主催のパーティーですから。
 『仕事』で来たからには、きちんと『お仕事』してくださいますよね?」

ダメ押しに、後ろににっこりという文字でも浮かんでいるんじゃないかというくらいの
不自然な笑顔で(フュリー曹長あたりが見れば、満面の笑みに見えるらしいが
…見る側の心情の問題なのだろうか)こちらを見上げる彼女の視線を一身に受けてしまえば…


「ああ! もちろんじゃないか! 仕事は大好きだとも!
ハボック! お前もぼーっと突っ立ってないで仕事をしろ!」


などと、簡単に陥落。
そんな上官達の姿を見て、背中を思いっきり叩かれその表情をゆがめるハボックが
内心(ああ、無能だ)とか思っていたのだが。
もちろん自分の身は可愛かったから、それを口に出すほど馬鹿正直なことはしなかった。

懸命な判断である。




1+1=?(足し算の答え)






「…では、また視察の際にはよろしく頼むよ」
「ええ、もちろんです」


何度目かわからない愛想笑いを返し…ロイは何度目かわからないため息をついた。
しかし本人は無自覚だったから、後ろに控える副官の視線に気づくまで、
それに気づかなかったのだけど。

「ああ、すまないな」
「いえ、大丈夫ですか?」

散々尻をはたいて男を急かすくせに、こういう気遣いも人一倍上手いから、困るのだ。
口うるさいだけのお目付け役だというだけならば、うるさいと一喝して引き離すことも出来るのに。


「平気だよ。君に比べれば愛想笑いには自信があるのだけどね」
「そうですね。あなたには敵いませんから」

冗談めかしてそう言えば、やや笑いを含んだ笑顔が返ってきた。
その顔がさっきまで散々男どもに見せ付けていた愛想笑いとは違うものだったから、
なんとなくほっとして、ロイも僅かに微笑む。


その時、

「マスタング大佐!」

やや大きなその声の主など、顔を見なくても予想がついて、
一瞬、二人はその顔を固まらせた。

…つまり、あまり相手をしたくない相手だったのだ。

もちろん相手にそれを気づかせるほど馬鹿正直ではないから、
ロイがその顔を声の主に向けたときには、
その表情は先ほどまでの万人に向けられる似非笑顔に
とって変わっていたのだけど。


そこにいたのは予想通りのその人物。ロイよりも一つ上の階級を持つその男は
あからさまに見せつけるわけではないが、普段から見せる態度でロイに敵意を持っていることなど明らかで。

正直、彼から声をかけてくることなどないと思っていたのに。



「これはこれは…准将殿。どうかなさいましたか?」
「…やあ、ホークアイ中尉!」

こちらをすり抜けてリザにかけられた声に、
ロイは一瞬ぴくり、と自らの顔が引きつるのを自覚する。

上官を差し置いて、副官に声をかけるのは、
この階級社会の軍において、無礼だととられても仕方のないことだ。

それをわかっているのだろうが、リザは一瞬その顔に疑問符を浮かべながらも
男に向かって頭を下げた。


「こんばんは、准将」
「相変わらずだね。その後、職務は順調かい?」
「…はい。おかげさまで」


別に階級にこだわっているわけではない。
そんな古めかしい意識などくそ食らえと思っているのはロイの紛れもない本心であるし、
上官を上官とも思わないような言動を伴う部下を多く抱えている自分が、
それを取り立てて問題にしたことがないのは。
言いたいことを言い合える彼らに、感謝こそすれ、
上官侮辱罪など問おうと思ったことなどない…とは言わないが、
実際にそれを行動に移そうと思ったことは露ほどもないからだ。


ただ、明らかにこちらを無視して繰り広げられる目の前の会話に
ロイの中で何かがふつふつと湧き上がってきたのは事実で。


「…私の副官と何か?」

半ば強引に話に割り込んだ形になったことに自分でも驚いていた。
もっと自然に会話に加わることも出来たはずなのに。

気がついたときには、口は勝手に言葉を吐き出していた。


彼らは一瞬驚いた顔をしていたが…
「ああ、先日あった演習で、彼女が指揮を任されていたでしょう?
 私の隊も参加していたのでね、微力ながら、助言と補佐をさせてもらったんだ」

確かに、数日前に行われた演習で、リザは指揮を執っていた。
知らないはずはない。それを指示したのは、ロイ自身なのだから。
その中に准将の隊も含まれていたことも、もちろん報告書に目を通したから知っている。

しかし、『助言と補佐を受けた』とは聞いていない。

目線で尋ねるが…何故かリザは彼女らしくもなく、一瞬その目を彷徨わせ口籠もった。

言いたくないことでもあるのか?

しかしここでそれを尋ねることは憚られた。
目線だけで『後で話せ』とリザに念を押すと、
ロイは再び笑顔を浮かべて男へと視線を戻す。


「…それはそれは、私の部下が世話になりました」
「いいや。彼女の実力は素晴らしいものだ。私も脱帽の思いだった」
「そう仰って頂けると上司である私も、鼻が高いです」
「別に君を褒めたわけじゃないよ。あくまで彼女自身の力だからね」


…なんというか、いちいち言葉に棘のあるのは。
気のせいではないらしい。

「そういえば、昨日だったかな?街中で君を見かけたよ。
 随分と楽しそうな様子だったが。
 もちろん職務をきちんとこなした上で、
 昼間のデートを楽しんでいたのだろうね?」


かなり嫌われているらしい。

「はっはっは。耳が痛いですね。
 いや、もちろん。仕事はあの後で彼女にたっぷりと絞られながら
 夜中に漸く終えたところです」
「…マスタング大佐!」

リザの咎めるような声にも、ロイはそ知らぬふりを装ってその顔に笑顔を浮かべた。
無能な『フリ』をするのも彼の常套手段だったから。リザはうすうす感ずいているのだろうが。


笑って誤魔化せ。とも取れるそんな態度は
生真面目で女性とはデートもしたこともないような准将殿には
お気に召さなかったらしい。


明らかに機嫌を損ねたようで、笑顔を浮かべていた顔は
怒りのあまり青ざめ…同時にその瞳を忌々しそうに細めた。


「…君は、真面目に仕事をする気があるのかね?」
「もちろん! 私はいつだって真面目ですよ」

へらへらと、そんな笑みを浮かべてそういったところで
彼の普段の様子を知っているごく親しい人間ならばまだしも。
一人歩きする噂でしかその姿を見ることのできない男には
額面どおりにその台詞を受け止めることしか出来ず。


「…噂通りの様子だね」
どこかはき捨てるようにそう告げると、

男は、ちらり、とロイを…その後ろに立つリザを見た。

「ホークアイ中尉。やはりあの話、考え直す気はないかね」

意味深なその台詞に、ロイは内心で首をかしげた。
ちらり、と横を見れば、いつもと変わらぬ副官の横顔があった。


彼女は、その台詞を男が告げるのを知っていたかのように、
『またか』とでもいいたげなうんざりとした顔を浮かべた。
(彼女の表情からそれを読みとったのはロイ自身だけだろうが)


「その話はお断りしたはずです。何度聞かれても答えは変わりませんから」
「…きっと気が変わる日がくるさ」
「いいえ…絶対に、ありえませんから」

そこだけやけにきっぱり言い切る彼女に、何もいえなかったのは。

准将殿も…そして話のわからないロイも、同じだったのだけど。












「…で、もう良いかね?」

飽きるほど愛想笑いを浮かべ続け、飽きるほど見え見えのお世辞を口から吐き出し。
嫌になるほど脂ぎったむさい男たちの顔をもう何度見たかわからないが。


「ええ。お疲れ様でした」


二人の男がやっとお許しを頂いたのは、その数時間後のこと。


「やった! 大佐!飯食いましょうよ!飯!」
「何を子供みたいなことを言っているんだ! 食事くらい静かに食え!」
「…あれ? 食べないんですか?」


皿を手に取り、並べられた料理を片っ端から載せていくハボックとは違い、
ロイはその手をズボンのポケットに突っ込み、周囲をきょろきょろと見回していた。


「ああ…ちょっとな」
「誰か探してるんですか?」


会場内を見渡せば、あたり一面青い軍服の山・山・山…
軍主催のパーティーで、招待されたのもむさい軍人ばかりだから
パーティーとは名ばかりで、美しく着飾った女性がいるわけでもなければ、
いちゃつくバカップルもいなかった。


後者はハボックにとって幸運であるが、前者は男性にとってはむなしいことこの上ない。
そういえばロイも、このパーティーに向かう途中で「美しい女性のいないパーティーなんて
出たところでつまらんだけだろう?」とか何とか愚痴っていたのを思い出す。


「残念ですね。あんたのもてっぷりが見せ付けられなくて!」
ハボックにしては嫌味のひとつでも言ってやったつもりだったのだが…

「さあな。それはわからんぞ。じゃあ、しっかり食えよ!」

手をひらひらと振って離れていくその行為は『ついてくるな』というロイの意思表示。
なんとなく嫌な予感を覚え、ハボックはその後姿を目で追う。


すると…
「…あっ! あの色ボケ上司!」

彼の目に映ったのは、遥か遠くで給仕のメイドに声をかけているロイの姿。
手を握ってじっとその目を見つめ、なにやら囁く様は、
明らかにプレイボーイのその様相を呈していた。


「ほっといていいんですか?! 中尉!」
「…いいも何も。もう職務は終えたんだから、私が口を出すべきことじゃないわよ」

誰かにこの憤りをわかってほしくてそう言ったのに、
勢い込んだ自分とは対照的に、やたら冷静なリザの声。
ハボックは出鼻をくじかれ少し拍子抜けしてしまった。


「…もしかして。予想してました?」
ロイがこの男だらけの会場で、メイドに声をかけることを。
「私が何年あの人の部下をやっていると思っているの?」
「愚問でしたね。すみません」


見れば、リザは壁に背を預け、どこかぼんやりとした表情で会場を眺めていた。
先ほどまでの上司を守る副官の顔とは違う、
まるで普通の女性のような錯覚を覚えるその穏やかな様子。
しかしその瞳はどこか遠くを見ていて、
きっと彼女の瞳には会場のどの人間も同じように映っているのだろうな、と気づいてしまった。

(あの人以外の人間は、皆同じって事ですか?)


まるで自分すらも彼女の知らない他人の。
通行人の一人になってしまったような気がして、
ハボックはわざと意地の悪い質問をしてしまった。


「気にならないんですか?」
「…え?」

「アレ」

上司に向かって『アレ』もないだろうが。
それ以外の上手い表現が浮かばなかったのだから仕方ない。


二人の目が捕らえたのは、
その頬を真っ赤に染めた女性の手の甲に唇を落とし、
口元にうっすらと笑みを浮かべるロイの姿。


「…ハボック少尉」
「はい」


その光景を眺めながら…
彼女の口から出てきたのは、ただ一言だけ。


「料理食べてきて良いわよ」
「…はい」


何も反論を許さずに言い切ったその台詞に
すごすごとその身を縮めて遠ざかるハボックを見送った後、
視線を戻すとすでにロイとメイドの姿は会場内から消えていた。



リザは頭を壁に預け、目線を上に向けて天井からぶら下がる巨大なシャンデリアを眺める。
贅をつくしたその部屋に勝るとも劣らないその飾りを支えるのは、たった一本の鎖。
何とも頼りないその細い一本の線。


「鎖が切れてあれが落ちたら…パーティーは中止になるかしら?」
そう言って無意識に腰に常備された銃に手をあてると、
リザはこっそりとため息をひとつ、その口から吐き出したのだった。











ロイが女性とのデートだとか逢い引きだとかいった言葉を使用する時、
それは大抵、二通りの使用方法がある。

まず一つ目は、言葉通りの意味。つまりは…女の子との楽しいデート。
洒落た店にいって、楽しい会話をして、おいしい食事をして。
楽しい一夜を過ごして、笑顔でさようなら。
それはいかにも女遊びに精を出す無能上司を装うためにも有効であるから、
もてない男どもにさんざん見せつけてやるのだ。
…もちろんそのせいで、余計な反感を買うことも少なくないが。

それから、もう一つは…
表だっては行動できないような理由があるときに使用する。
たとえば「今夜はデートだよ」と言いながら資料を漁ったり、
尾行をしたり、潜入捜査を重ねたり…


これといって表だって使用法を変えたりしていないから、
それを知っていても事の真偽を推し量るのは難しい事ではあるのだ。


つまり…リザやハボックはじめロイの部下たちですら、
ロイが「今日はデートなんだ」と自慢げに話し出せば、
それが前者の意味であろうと後者の意味であろうと関わらず、
本当のデートなのだろうとその眉を潜めるのである。




だから…


「まあ、ロイさん、お上手なのね」
「お世辞などではありませんよ。あなたは本当にお美しい」

パーティー会場の片隅。
人目を避けるには丁度うまい具合に立てかけられた衝立の後ろで。


目の前でその頬を染めながら、
落ち着かないのか、そわそわと視線を彷徨わせるメイドの顔をのぞき込みながらも

ロイの頭の端にちらりと浮かんだのは
パーティー会場で彼女を誘ったときに感じたいくつかの視線。


その中に含まれていた呆れたようなリザの視線から鑑みて、
彼女は間違いなく自分が単なる下心でメイドを誘ったのだと思っているのだろう。

「やめてください」
「私の事がお嫌いですか?」
「…いえそんな」
「だったら照れずにこちらをみて頂けませんか?
 あなたの澄んだ視線に射抜かれたら、きっと私も冷静ではいられなくなってしまうかもしれませんから」


こんな台詞を聞かれれば、誤解されても仕方ない。
かといって素直にそれを表だって見せてくれた試しなどないに違いないのだけど。
とりあえずこれは誤解だと、それだけは後で弁解しておいた方が良いだろう。
…信じてもらえるかは、果てしなく疑問ではあるが。



「…あ、あの」
ふと意識を戻せば、おどおどとこちらを見る二つの相貌とかち合った。
警戒している事には違いないのだが、話を聞く気にはなってくれた様子だ。

さて…これからどう話を持っていこうか…


ロイがその口を開こうとした時、


「マスタング大佐?」
突然降り注いだ男の声に、目の前のメイドがびくり、とその身を引きつらせる。


「ああ、こちらにおいででしたか」
そう言いながらも何の遠慮もなくずかずかと衝立の内側に入り込んできた男の姿に、
「私…失礼しますっ!」
慌ててその身を男の手から引きはがすと、
メイドは長い裾を翻して衝立の向こうへと消えてしまった。



「おや、お邪魔してしまったかな」
どう見てもわざと邪魔をしておいて、しれっとそんな事を言うのはどの口か。





そこに立っていたのは、先ほどパーティー会場でロイにむき出しの敵意を向けた准将だった。
そういえば…まだリザにこいつと何があったのか、聞いていなかったな、と思いかえす。
他人から話を聞くというのは、ロイにとっておもしろくない事だったが、
こうなってしまっては仕方ない。




「…これはこれは、准将殿。私に何か用ですか」

あと少し、という所で逃げられた悔しさよりも、
目の前の男の向ける敵意の方が気に入らなくて、
ロイは無意識にきつくなる口調と視線を隠すことなく男に声をかけた。





「…はっきり言って、私は君のことが非常に気にくわないんだよ」

そうして、オブラートに包むことなくはき出されたその台詞に、
ロイは思わず口元がゆるむのを隠しきれなかった。

「何がおかしいのだね?」
「いえ、あなたに好かれているとは、露ほどにも思っていませんでしたから」
「ほう、それならば話は早い。…で、その理由もわかっているのかね?」


「初めは、若造の私が大して努力をしていないのに、
 今の地位に上り詰めたからだと思っていましたよ」

ロイの見せかけの怠惰さは、その錬金術の腕前と同じくらい有名であるから。
彼をよく知らない中央の高官などは、自分の無能さを棚に上げて見下しているものもいる。


目の前の准将殿も、その手の類だと思っていたのだ。


「しかし、どうやら読み違えていたようだ。
 …私の副官がリザ・ホークアイであることに、何か理由が?」


パーティー会場で明らかにロイではなくリザに向かって会話をしていたその態度が
ロイに向ける敵意というよりは、彼女を従える男に向かって向けられる態度のそれだったから。
あの時にもしや、と思ったその推測は間違っていなかったらしい。



「君は噂と違って、意外と頭が回るようだね。
 普段の態度は見せかけか?…いや、今し方ののメイドとのやりとりを見ているとそうでもない様子だな」

ほめているのか、けなしているのか…たぶん後者なのだろう。
男がこちらに向ける見下したままの視線は変わらない。


「まわりくどい表現は嫌いだ。率直に言わせてもらう。
 私は彼女に、『私の元で働かないか』と、そう打診したのだよ」



腕を組み、その背を心なしか張り、
『最終兵器だ』とでも言わんばかりに投げつけられたその台詞を。


ロイはあっさりと鼻で笑い飛ばした。


「…それで?」
「驚かないのか?!」
「なぜ驚く必要が? 彼女があなたのような『すばらしい』上官に認められるような
 優秀な軍人であることくらい。上司である私が一番よく知っていますが」
「…君は、彼女の可能性をつぶす気かね?」
「どういう意味ですか?」


「君のいない演習の場で彼女はそれは見事に指揮を果たしたぞ。
 さぼった君の尻を追いかけている時間を、もっと職務に当てられれば
 彼女はもっと時間とその能力を有効に活用できる! 私にはその環境を与えることができる!
 君の元にいるよりも何倍も、彼女の実力を伸ばすことができるんだ!」
 …違うか?」


「確かに、それはそうかもしれませんね」

問われて、一見殊勝そうにそう答えたロイの口調に、
ますます男の口は勢いづく。

「今日だって、君のそばにいる間は、誰一人として彼女に声などかけようとしなかったのに…
 君がいなくなってから何人の男に声をかけられたと思う?
 君は知らないだろうがね、君がいない方が彼女の優秀さが発揮されてるのだよ!」


准将殿が鼻息荒くそう言い切ったのを聞き届けると。
ロイは、神妙な顔をして大げさにため息を一つつき、
さも困ったかのようにこう呟いた。



「…これだから困るんだ」
「何だと?」
「いつも彼女には目立つなとあれほど言っているのに…。
 下手に目立つとこういうやっかいな虫が付く」

独り言ではあったが、明らかに聞かせるためのその台詞は、
案の定、相手の沸点を超えさせるのに役立ったらしい。

「君は…上官への口の利き方も知らないのかね!」

額面通りのその台詞に、笑いをこらえきれない。
もちろん口元に笑みなど浮かべれば、相手の心証を悪くすることなど
分かり切っていたが。

わざと、大げさに笑ってやった。
だって、目の前のこの男は何もわかっていないじゃないか。


「そんな事を言っていたら、彼女とはやっていけませんよ。
 彼女の上官に対する態度にいちいち苛立っていたら…上官侮辱罪を何度適用しても、し足りない」

たとえば平気で銃口を向けたり、たとえばわざと男の自信を喪失させるような事を言ったり
たとえばかかと落としをくらわせたり…
数え上げたらきりがないほどだ。
自分で言うのも何だが、よく耐えていると思う。


「それは…貴様が上官だからだろう?」
「彼女はあなたの提案に、何と答えました?」

男の反論には答えず、わざと意地の悪い質問をした。
案の定、男はぐっと言葉を詰まらせる。


ロイには分かっていたのだ。


「『あの人以外の元で働くつもりなどありません』…こんな所かな?」


その台詞に、みる間に目の前の男の顔が青ざめていくのが分かった。
それはもういっそ、見事なくらいに。


「君、知っていたのか?」
「いいえ、知りませんよ。
 たぶん彼女ならそう言うのだろうなと、そう思っただけです」



勢いをそがれた格好になった准将をその場に残すような形で、
ロイは衝立の方へと歩き出した。
男の横をすり抜け、その端へと手をかけると、
向こうに見えるのは、明るいパーティー会場だ。
男ばかり。青色ばかりの素っ気ないその会場で、
振りまかれるのは、嘘と欺瞞と傲慢と。
見せかけだけのつきあいだから。


この幕の内は、向こうに持ち込む前に片づけてしまわなければ。


ロイは衝立に手をかけたそのままで、
顔だけ振り向くと、うなだれる男に向かって声をかけた。

「ああ、それから、一つ良いことを教えて差し上げましょう。
 彼女が私の側では目立たないのはね…」

振り向くその顔。
普段見るような毅然とした表情に戻っているのは
さすが准将の地位にあるべき者の態度と言うべきか。
でも今は…目の前のこの男が自分よりも上だとは思わない。

だって、何も分かっていないじゃないか。


「私の横にいるときは、彼女はただひらすら、私を立てることに全力を注いでいるからだよ。
 だから、彼女が側に控えている時の私は、誰よりも強いんだ」



彼女が部下として優秀な点をあげるなら、まず間違いなくその一点だと思うのだ。
…それに答えうるべき上官は自分しかいない事が、同時に彼女の唯一の欠点でもあるのだろうが。













その光景を見て、ロイは思わずため息をついた。
ああ、これだから困る。
果てしなく困る。


どうして彼女を一人にすると、こうして変な虫どもがわんさかと寄ってくるんだ?



ふつふつとわき上がってくる苛立ちを押さえきれずにロイはその足を進める。

見知らぬ男が(軍服を纏ってはいるが、顔も知らないし階級もそれほどじゃない。
どちらにしろ長いつきあいにはならないから、覚える必要はない)
リザの肩に手をかけ、彼女に何かを囁いていた。


彼女のいかにも嫌そうな、面倒くさそうな態度に気づかないのだろうか。
自分があの目で見られたら、数時間は立ち直れないと思う。
いっそ羨ましいほどの鈍感さだ。


しかし…


「先ほどメイドと…」


そんな台詞が聞こえてきたので、ロイは彼らの元へと慌てて駆け寄ると、
リザの腰に腕を回し、その体を男の腕から無理矢理引き離した。


「メイドがどうかしたのかね?」


突然の乱入者に、体を引きよせられたリザよりも
相手の男の方が一瞬あっけにとられたような顔をする。


が、すぐに我に返り、こちらへと食いかかってきた。
「…おまえっ!」
「先約のある女性に声をかける男ほど性質の悪いものはないね」


やや目線の下にあるその顔にむかって見下すようにそう告げてやる。
優越感満載の笑顔と一緒に。



しかし、目の前の男がそれに反論するよりも前に、
別の所から思わぬ反撃が襲いかかってきた。


「誰に先約があると?」


今まで腕の中でおとなしくおさまっていたリザだ。
まさかこちらから意義を唱えられるとは思わずに、
ロイもつい、ムキになって…結局いつものように口論が開始される。


「この状況で誰のことかなんて分かり切っているだろう?
 君だよ! 君!」
「生憎と、先約を受けた覚えはこれっぽっちもありませんけれど」
「…君、こういう時は話を合わせようと思わないのかね?」
「あなたに助けてくれだなんて頼んだ覚えはありません」


気がつけば始まっていた言葉の応酬に
目の前に立っていた男の顔が
怒りを通り越してきょとんとしたものになるが。

そんな事にかまっている余裕などない。
助けてほしくないと告げられ、挙げ句に職務怠慢まで持ち出された。

「今はそんな話をしているんじゃないだろう?」
反論するも、追求の手はゆるまない。


「第一助けるのなら、何故こんなタイミングで出てくるんですか!」
「何だ? まるで今私が出てくると困るような言い方じゃないか?」
「ええ、困ります。あなたが何かもめ事を起こしたら
 それをフォローするのは私の役目なんですよ?
 折角穏便に済ませようと思ったのに」


こういうときくらい黙って助けられてくれないだろうか。
…もちろん、せっかく穏便に事を済ませようとしていたであろう彼女が
ムキになって仲裁に入ってしまった愚かな男に
嫌みの一つも言いたくなる気持ちも分からなくはないのだが。


たまには格好良い上司を演じてみたいことだってあるのに。


「…君ねえ。颯爽と現れた私の立場はどうなるんだい?」
「その件については申し訳なく思っています。
 こちらはもう結構です。
 さあ、どうぞ、例のメイドさんの所へお戻り下さい」

しれっとそう言いきった彼女のその台詞が、
男のプライドをぐさりと突き刺した事に、彼女はきっと気づいていないに違いない。






「…」
「…? どうかなさいましたか?」
「あのー」

急に黙り込んだ背中越しの気配に顔を向けた彼女が
控えめに掛けられた声に振り向くと、
そこには両手に抱えた大きな皿に
料理をたっぷりと載せたハボックの姿があった。

「あら? いつの間に?」
「…こんなとこで痴話げんかせんで下さい」
「…何か言ったか?」


とりあえずどうやって誤解を解くかが先なのだ。
これ以上余計な横やりを入れられてたまるかと
邪魔をするなという意志を込めて睨んだら、
訳が分からないなりに冗談で済まないことを直感で悟ったのだろう。

たらりと、その頬を滑り落ちるのは一滴の冷や汗。

「あ、そうだ、俺、急用を思い出しましたので、
 これ、食べて下さいね!ほら!」

そう言ってリザの両手に無理矢理その2つの皿を押しつけると
慌てて会場の方へと走っていってしまった。



「どうかしたのかしら?」
「さあな。腹でも空いたんじゃないのか?」
「それなら、この料理食べればいいのに…
 ところでいい加減、その手を放して下さいませんか?」

皿のせいで両手の塞がった彼女は、迷惑そうな目線でもって、
自らの腰に回された手を引きはがそうとしたが…

もちろん、素直に応じられるわけがない。

「七人だぞ。これ以上変な虫がついたら困るからな」
「…は?」
「いや…ちょっと君、こっちへ来たまえ」
「どこに行くんですか?」



彼女の腰を抱えたままで、こっそりと賑やかな会場を出た。
皿を持っているおかげで抵抗のできない彼女は、
何か言いたげな視線を寄越しながらも黙って歩き続ける。


「今回ばかりはハボックに感謝しなければな」
「…は?」


開いていた未使用の客室に入り、ドアに鍵をかけると、
ロイはリザの持っていた皿を取りあげ、机の上に置いた。


そうして暗い部屋の中、間近に迫ったその顔に
わずかに浮かぶのは…拒絶の意志。



「何考えてるんですか!」
その瞳は否定をする。
体は抵抗を示し、男の胸を押しのけようとするのに。


そのくせ、本気になればいつでも引きはがせるはずのその拘束を
結局は受け入れてしまう彼女の本心を。
ロイは分かっているのだ。
彼女は、ロイが自分を助けるために
自らのお楽しみの邪魔をされた事に対して気分を害しているのだと、信じて疑わないから。


いくら数多の女性を虜にしたその手腕を持って甘い言葉を囁いたところで、
きっと彼女の中でこの行為は『埋め合わせ』以上の意味を
持つ事など絶対にないに違いない。


それを分かっていても愚かな男は今更その行為を止められるはずもなく。
本当に手にしたわけではないと分かっているから、
もっともっとと貪欲になって激しくその体を求めてしまう事は…否めない。

「メイドさんは、どうするのですか?」

だから彼女には信用されず、こんな事まで心配される始末。
いい加減気づいてくれないだろうか。
『代用品』はリザではなく、数多の『恋人達』の方だと言うことを。


「他の女性に目を奪われている隙にふられてしまったよ」


最も肝心な所で素直になりきれない自分の側にも問題があるのかもしれないが…


「よそ見しているから、愛想を尽かされるんですよ」
「うむ。肝に銘じておこう」


「…でも君はどれだけ私がよそ見した所で、愛想は尽かさないだろう?」
「先程の会話を聞いていたんですか?」


彼女がいう「会話」が、パーティー会場の片隅で繰り広げられた会話であることは聞くまでもないが。
ロイは別の事を思い出していた。
自分がどれだけよそ見をしていても、彼女はきっと自分を見捨てない。
それは、先ほどメイドにうつつを抜かしていた自分を待っている間、
決してどの男の誘いにも頷かなかったように。
あの准将に誘われたときにも、さぼり癖のある厄介な上官を決して見捨てなかった部下のように。


リザ・ホークアイという人間が、ロイ・マスタングという人間を見捨てることは絶対にあり得ない。

それを確信しているから。




しかし…
そんな風にうぬぼれているくせに、たまに急激に襲ってくるこの不安はなんだ?
放っておくとすぐに目をつけられる彼女の有能さが、こういうときばかりは恨めしい。
彼女が自分に愛想を尽かすことはありえないと分かっていても、
こういう事が起こる度に胸の奥に襲いくる苛立ちは募る一方で。

思わずかき抱いたその抱擁の訳を、訪ねられたら困るのはきっと自分の方なのに。



リザが他の男には決してなびかないと知っているくせに
こういう事がある度に、彼女に分からせたくなるのは、愚かな男の独占欲故なのか?

いや、自分が確認したいだけなのかもしれない。
彼女が間違いなく自分のものなのだと。
今日もどこにもいかずに寄り道もせずにきちんと自らの元へと戻ってきたのだと。


そうしてやっと毎晩深い眠りにつくことができるんだ。


うぬぼれた顔の下で自分がそんな事を考えているのだと。
その真実を知ったら…彼女は自分を軽蔑するだろうか?


その時こそ、彼女はこの手から離れてしまうのだろうか?



「…悪趣味ですね」
何も知らないはずの彼女の口から流れ出たのはこんな台詞。


悪趣味だって?…間違いない。


「自覚してるよ」




そう言ってにやりと笑う男と
その表情を崩さない女が。


お互いの本心を知る日がやってくるのか否か。
それはまだ誰にも分からない。





2005.7.18 に頂きましたv


妄想ドミノ様で私が迷惑にも11111番を踏ませていただきましたので、リクエストに書いてくださった小説です…v
「パーティでモテモテ中尉に嫉妬する大佐!」がすごい好きなのでリクさせていただきましたv
もう、想像以上の萌えっぷりに大変舞い上がっております…!
Seria様、こんなに素敵で萌えな小説を本当にありがとうございました…!
これからも日参させていただきます…v



※プラウザーを閉じてお戻り下さい。